月: 2026年8月

  • エイベックス松浦さんの記事の感想

    エイベックス創業者の松浦さんのnote記事が話題になっている。

    公開された3つの記事の総回覧数は760万だったとか書いてある。

    確かに興味深い内容だが私が個人として感じたのは、上手く言えないが、「これは参考にならない!」という感覚だった。

    後に公開された記事で、当初話題になった記事は、概ねAIによる作業だったことが発表された。

    いち庶民が上場企業の社長と自分を比べるなど、おこがましのだが、結局松浦さんの場合は「自分をコンテンツとして売りに出す手段としてAIを使う段階に入っているだけ」という事だ。

    松浦会長は、社長時代から書き溜めた95万字の記事、ブログ記事、youtube動画などを文字にして「claude code」に読み込ませたらしい。

    60歳の社長にもなれば、それなりに人生がコンテンツとして読まれるに足るものとなっている事だろうが、30代の若者が、同じ事をやっても誰も見向きもしないだろう。

    自分自身を素材として使用し、コンテンツとしての力を強化するのは立派な記事を書く事でも、AIで脚色された名文を書くことでもないと思う。

    「コンテンツを磨く」事は、個人の一つ一つの体験であり、思考であり、試行である。

    結局我々が今、やるべきことは変わらない。

    1日1日決めた事を積み重ねること。

    いつかAIに読み取らせる事が出来るよう、何かを書きとどめておく事。

  • 看取りについて

    本日も記事を見ていただき有難うございます。


    普通の人は、どんな仕事を生業にすべきか?という事をしっかりと考える機会は少ないと思われる。

    多くの人は就活をして採用された企業で、労働者として言われた仕事を一生懸命こなし、給料生計を立てる。

    しかし、自分で事業を始めると、やりたい仕事、やりたくない仕事を選べるようになり「自分を生業として生きていくのか?」について、考える機会が生じる。

    選べるとは言っても、あまりにストライクゾーンを狭く構えすぎると食べていけないので、一定のレンジ内で仕事を選ぶ裁量権があると言うことである。

    私は32歳で開業してから「看取り」を生業にすることを選び4年と少しで600人ほどの患者を受け入れ、100件ほどの看取りを行なってきた。

    一人医師の診療所として実績の多寡の議論は置いておき、最近は「看取り」の中でも、受けたい仕事、受けたくない仕事がある事に気づいた。

    人間、誰もが病気や自然経過により、老い、衰える過程を通り避けられない「死」を迎えることになる。

    「死」を前にして葛藤が全くない人は居ないだろう。

    私は看取りを行なう医師の仕事は、死を前に冷静さを失いそうになる人たちに伴奏者として寄り添い、オリエンテーションをつけていく作業を手伝う事だと思っている。

    本人が自分の内面での作業を完了して完全に死に備えられたとしても、家族や周囲の人間が同じように備えることが出来るかという事は別問題だ。

    ましてその「死」に向かうのが自分の肉親ともなると、なおさら受け入れには時間が掛かるものである。

    「死」という体験のストレスは、伴奏者である医師にぶつけられることもある。

    「死」というイベントに際しては、個人の精神的な準備意外にも、社会的な準備が必要となる。

    死の精神的な準備とは、関係者が迫り来る「死」を受容し、過度な恐怖や不安に陥らないで済む様に仕向けていく作業である。

    死の社会的な準備とは、患者が死んでも警察が出動するような、社会的トラブルが生じなくて済むよう、必要な第三者の看取り体制を整えていく事である。

    これらの準備がうまく行かない場合や、準備していたとおりに事が運ばない場合に、様々なトラブルが生じる。

    よくあるのは患者が頑なに「私は絶対に最期まで自宅で過ごすのだ!」と言っても、単身世帯で気づくのが遅れる事を恐れる親族が患者を高齢者施設に入れてしまう様なケースである。

    看取りの社会的環境が整わない場合、本人の「死に場所」の希望が叶わないということはよくみられ、看取り場所の判断について現代では本人の希望以外に社会的な要素の重要性が増している。

    看取りの伴奏者という医師の立場としては、これらの準備が整わなそうな雰囲気のある看取りは、「したくない仕事」、逆に様々な要素が整っている看取りは、「したい仕事」になる。

    「看取り」という仕事は大変地味だが、現在の高齢化・多死社会において「死亡診断」が医師の専売特許として指定されている制度に守られ、底堅い需要もある。

    また「死亡診断」は医師が一人で行なう事が出来る数少ない「診療行為」であり、独立した自営業と相性が良い。

    不謹慎に聞こえると申し訳ないが、「看取り」は、誰も特に進んでやりたくないが「生業」とするにはけっこう良い条件の仕事だと思う。

    折角このような仕事を社会からいただいているので、しっかりと社会に貢献していきたいと思って毎日仕事をしている。

  • スタッフが辞めるまでのインターバル

    ジョナ作です。

    本日も記事を見てくださり有難うございます。


    うちに1年務めてくれた看護師が今月、ようやく辞める。

    思えば1年前、初めて使う人材紹介会社から紹介された方だった。

    看護師歴20年、病院勤務歴7年、人柄もよさそうだったし、一生懸命やってくれそうな雰囲気があった。

    試用期間の半年はこちらも辞めてほしくなかったので、気になることがあってもあまり指摘しなかった。

    心電図を取ったことがない、採血では高頻度で溶血、難聴の患者に長い文で喋るなどなど…。

    色々と目につくところはあったが、こちらも苦労してようやく採用できたスタッフだったので、あまり指摘せず半年の試用期間が終わった。

    しかし、いよいよこちらから無期契約を打診する段階になると、内心かなり迷った。

    「この人と、ずっと一緒に働けるだろうか?」

    半年間の試用期間の勤務に対する評価はかなり低かった。

    一度言ったことを1-2週間で忘れる、予め伝えていた予定に対し準備ができていない、わからない事があっても質問ができないなどなど…。

    思い切って、以前の職場ではどのような内容を担当していたのか聞いてみた。

    すると、病院での勤務経験の大半は「健康診断」部門だったそうだ。

    健康診断部門で数年勤務していて、心電図も取ったことがないという事は、血圧や問診、採血が業務の殆どだったのだろう。

    在宅医療で求められる患者との対話、他業種との連携、医療行為などが概ね現場の水準に到達していない事にも納得がいく。

    病気の患者を診てきた経験が絶対的に少ないのだ。

    また採血を数年やってきた方の割には、溶血の頻度が高く、当院で行った採血の7割くらいが溶結でパニック値報告が返ってきていた。

    今まで、自分に任された数少ない手技にも、本気で向き合ってこだわった経験がないのだろうと、予想された。

    私は元々外科をやっていた。

    外科医は、針の扱い、静脈路確保、一連の採血動作を一つ一つも突き詰めて練習して、始めて現場で実践できると教わってきた。

    周囲の同僚もそうだったし、患者に医療を提供するという事は、悪魔の様な繊細さで細部をつきつめ、明確なビジョンをもって現場に臨む事だと思っていた。

    「いつも翼状針はどこを持っていますか?」などと質問しても会話が成立しない人が現場で一人前の顔で採血をしているという事が、信じられなかった。

    そうはいっても、病気の人をほとんど見たことがない看護師に、採血検査で正確な数値を得る事の重要さを説いても無駄だろう。

    何となく、半年間の勤務で任せる業務の出来が、一つ一つずさんに見えた理由が分かった気がした。

    本人の中でのスタンダードが低すぎるため、「手抜きをしている」という意識は恐らくないにもかかわらず、至って真面目に、淡々と小さなミスを積み重ねてしまうのだ。

    問題はこの方の伸びしろをどう評価するかなのかもしれない。

    40代前半。「頑張るので教えてください!」といったスタンスで働かれるのも困るご年齢だが、新たな知識を身に着けるには、遅すぎないかもしれない。

    試用期間が終わって無期契約を申し出るにあたり、「もう少し、医療について勉強をしてほしい」事を伝えて、よく考えてほしくて契約書を渡した。

    すると次の日、「お願いしまーす」といったい淡々とした様子で無期雇用契約の契約書を持ってきた。

    私の中で、何かスイッチが入った。

    「このままの勤務態度でずっと居座られては、こちらが溜まらない。常勤契約を機に、もうすこし危機感を持って成長してもらうよう、少し厳しく指摘していこう」

    契約を更改してから1-2カ月、今まで気になっていたことを一つずつ指摘していった。

    「半年間で、業務に慣れていただいたと思うので、これくらいは出来てほしい」

    「今まで指摘しなかったが、もう少し改善してほしい」

    など、細かい点を指摘するようにした。

    自分よりも年上で医療者としての経歴も長い方に、一つ一つ指摘していくのは、大変疲れる作業だった。

    そして契約更改から3か月目に「院長、お話があります」と呼ばれ、自主退職の意向を伝えられた。

    共同経営者の妻には、「あなたの人格が成っていないから人が離れていく」みたいなことをさんざん言われてしまったが、

    個人的にはこれで清々するなといった心境だった。

    中小企業の採用戦略に関する本を買って読んだり、業務マニュアルを充実させたり、大手人材紹介会社に登録するなど被雇用者にとっての環境の改善を図った。

    自分の中では、今回の採用は身を持って良い勉強をになった。

    医師である自分が稼ぎ頭のクリニックで、医師が伸び伸びと働けない職場になってしまったら、結局は破滅を迎えることになるだろう。

    パフォーマンスが現場の要求に達していない社員のために社長が萎縮して事業が成長の機会を逃すよりは、時間と労力をかけてもう少しまともな人材の採用を目指した方が良いと思うようになった。

    「こんな小さなクリニックに来てくれて、ありがとう」みたいなことを面接に来てくださる方に言ったこともあるが、もっと自分自身が、意識を高く持たなければならないと思ったのであった。

    そんなスタッフがようやく辞める。

    正社員は通告から退職までに3か月のインターバルを契約上設けているが、この期間中の勤務態度は、拍車をかけてスタッフが「何も進歩しない」時期で、今更指摘もできずテンションが下がり続ける日々であった。

    ようやくこのインターバル期間が終わると思うと、スタッフは減り仕事は増えるが、個人的には一旦ホッとすることができる。

  • 【note】フォロワーが急に増える

    記事をご覧いただき有難うございます。

    さて、またnoteの話題になる。

    通算記事数が100に到達したため「過去記事まとめ」と「100記事の振り返り」という記事を公開した。

    過去記事まとめ|ジョナ作

    100記事の振り返り|ジョナ作

    本日で大体1週間くらい経ったかと思うが、急にフォロワー数が90から130に増えた。

    数字にしてみると「単に40人増えただけじゃん」という感じがするかも知れないが、2年間noteで毎週投稿をしてようやく獲得したフォロワーが90人だった訳である。

    これが100記事書いた事を公にアピールした結果約1週間で90→130と、1.5倍に増えた。数字の上では目覚ましい成果である。

    しかし内容をよく見てみると、フォローして下さったアカウントの殆どが、「SNS運用」とか「○社長のアカウント」みたいな、マーケティング系のアカウントだ。

    過去記事でいうところの「有象無象アカウント」である。

    アルゴリズムをめぐる考えとブログを始めた理由を詳しく解説する—noteとブログの使い分け

    一方で記事のビュー数はフォロワー数ほどには増えていない。

    直近1週間のビュー数は77に留まり、増えたフォロワーさんは平均して1記事見ていないくらいである事が分かる。

    「とりあえずフォローしておいて、時間あるときに記事読むか」って感じでフォローをしてくれたのだろうか?多分違うだろう。

    おそらく、私の記事が注目されだしたというよりは「フォローワー稼ぎ」をしたいアカウントが相互フォローを目的に押し寄せているのだろう。

    ある意味では私たちは目的を一つにしていると言える。

    「とりあえずフォロワーを増やしてビューを稼いでみたい」

    という試みをもう少し続けてみようと思う。

  • noteだけでなくブログでも発信することにした理由

    初めまして、ジョナ作と申します。

    このブログ開設までに、noteで100の記事を書いてきました。

    普段は訪問診療の診療所を運営している医師です。

    https://note.com/johnasak/n/n106ed2ff8cf3

    今回は、noteのアルゴリズムについての考えと、私がブログを始めた理由を書きます。


    2024年にnoteを始めてから、2年間近く、ほぼ毎週投稿を行った。

    おそらくnoteのアルゴリズムは、投稿数が少ないクリエイターや、

    登録後間もないクリエイターの記事を優先して不特定の人の「オススメ」に表示する仕様になっている。

    また記事の内容もアルゴで選別され不特定多数のオススメに載りやすくなったりすると思われる。

    起点となった皇室の記事

    https://note.com/johnasak/n/n7ec9c7cc8ee3

    97記事目に「皇室典範」の記事を書いたのだが、これを境にかなり閲覧数が落ちた。

    例えば「投稿が95記事以内」とかの、アルゴ上の有利区間を過ぎただけで私の妄想に過ぎない可能性もあるが、

    何となく「思想的な面でアルゴに選別されたのではないか?」という仮説が自分の中に生じた。

    100記事書いた中での閲覧数の推移を下の表に示すが、94記事くらいまでは公開後最初の1週間で100ビューくらいついていたのが、

    95記事目で40ビューとなり、97記事目は50ビューとなった。

    閲覧者のエンゲージメントを表す「スキ」も、0が3記事連続で続いた。

    たまたまかも知れないが、何かのきっかけでアルゴにより不特定多数への「オススメ」に表示されなくなったのかな?

    という仮説が自分の中で生じたという次第である。

    ○番目の記事ビュースキ
    99330
    98440
    97540
    968010
    95434
    94784
    記事の順目と回覧数、スキの数

    表の95記事目も閲覧数は43に留まっているし、

    97記事目を境に明確に閲覧が落ちたとまでは言い切れないとも思う。

    しかし「スキ」の数も合わせると97記事目以降顕著に減って、閲覧数も以前に比べると少ない。

    投稿を2年してみた印象での話になるが、noteには「捨てアカ」みたいな「有象無象のアカウント」が多数ある。

    何かの商品を売ろうとしていたり投資系の怪しいサロンに誘導しようとするようなアカウントである。

    私の投稿が90記事を超えた頃くらいから閲覧数が下がってきたので、

    フォローしていただいた方にはフォローバックする、相互フォローを始めた。

    記事の閲覧数低下はこの時点で始まっていて皇室典範関係ないとの説もある。それは一旦置いておこう。

    記事の閲覧数を伸ばすために相互フォローを機械的に行なう事にしたので、有象無象のアカウントもフォローする事になり、

    大体新しい投稿をすると、「有象無象アカウントからのスキ」が複数つく事が多い。

    この「有象無象アカウントからのスキ」が、自分の記事がアルゴ上どれくらい反響があるかの指標になると思っている。

    説明が長くなってしまったが、皇室典範の記事以降、回覧数と「スキ」数が顕著に減ったため、

    noteのアルゴ上で不利になるトリガーを踏んでしまった感じがしたということである。

    これがブログでも記事を書く事にした直接のきっかけとなった。

    今後の活動方針

    今後のnoteでの検証事項としては

    ①noteのアルゴ上不利になる内容があれば解明し、可能な範囲でその内容を回避したり、過去記事を削除して対応した方が良いかもしれない

    ②「投稿数」などの、何かしらの「有利区間」を過ぎた可能性があり、記事の内容や純粋な影響力が試されるステージに入った可能性がある

    といった事である。

    noteとこのブログとの使い分けとしてはnoteではあくまでアルゴを意識して書いてみようと思う。

    ブログではアルゴを気にせず好きな事を書いてみようと思う。

    現時点としては、noteでは2000-2000文字ほどの記事を中心に、ブログではもう少し少なめで頻回の投稿をイメージしている。


    最後に、まだ全然居ないと思いますが、このブログを見つけて記事を読んで下さった方には、厚くお礼を申し上げます。